わが母校
校歌・復興歌・応援歌・同窓会歌
こちらでは「校歌」「復興歌」「応援歌」「同窓会歌」の楽譜、歌詞、解説をご覧いただけます。
また、音源もありますので、お聴きください。
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解説
高等女学校18期生の皆さんが入学された1930(昭和5)年の5月に、校章の制定と時を同じくして生野高等女学校の校歌が制定されました。残念ながら、その経緯を記した資料が残っておらず、制定の詳細をご紹介することは出来ませんが、その後の生野高等女学校校歌にまつわる変遷を記しておきましょう。
関東銀嶺会初代会長の古谷利男さん(高校1期・故人)は、関東銀嶺会総会で生野高等女学校の校歌が歌われないことを心配されていました。当時は楽譜も音源もなく、古き良き時代に歌っていた校歌の音律が埋もれてしまい、正確に歌う自信がないというのが「歌われなくなった」理由でしたが、「これではいけない」と思われた古谷さんは、高女の校歌を正確に記憶していた笹森淳子さん(高校2期、当時、関東銀嶺会副会長)に依頼して、音楽学校の方に「正調」の校歌を磁気テープに録音されました。録音に際して起譜した楽譜が、現在にも引き継がれています。
この録音によって、その後の総会ではテープを流し正調の校歌を耳にしながら一緒に歌う高等女学校の同窓生を感激させることとなりました。録音テープは、関東銀嶺会事務局で保管し、クラス会の際などに貸し出していたとのことです。
さらにその後、平成16年(2004年)に開かれた第7回関東銀嶺会を記念して、関東銀嶺会では生野高等学校復興歌『不死鳥の歌』をメインにしたCDを、プロの声楽家・ピアニストに依頼し、スタジオ録音によって制作・発売しました。収録曲は同CDのタイトルとなっている『不死鳥の歌』のほか、『生野高等女学校校歌』『生野高等学校校歌』『生野高等学校同窓会歌』『生野高等学校応援歌①若き息吹に』『生野高等学校応援歌②高きに歌う』まで、全ての関係曲が収録されています。